タイ勉強会 第2回セミナー 5月19日  「メーコックと山岳民族の現状」

 

このレポートは瀧澤、奥村、島林で作りました。

3月9日に第1回セミナーを行い「バンコックのスラムの現状」について関口さんにオンラインで講演して頂きました。さて今回は5月19日に第2回セミナーとして「メーコックと山岳民族の現状」について講演を行いました。当日は講師の皆さんを入れてオンライン上に20人の方々が参加して大変面白い内容の勉強会になりました。第2回セミナーの様子を私たちが報告します。

1)アヌラックさんのメーコックの紹介

アヌラックさん

メーコックの始まりは、アヌラックさんの夫ピパットチャイスリンさんが、観光による地方発展を目指していたことから始まります。

毎日新聞記者が書いた本“見えないアジアを報道する”という本のなかにピパット先生が“山の先生”として紹介されています。ピパット先生は小学校の校長先生も務めた方でしたが、やめて、小さな旅行会社Pトラベルサービスを立ち上げ、村に旅行者を呼び込み、村の発展に結びつけようとするビジネスを始め、収益の一部は山岳民族支援に充てていました。

村の紹介をする中で、ピパット先生は麗澤大学の竹原茂先生(ラオス人のちに日本に帰化された)と知り合い、その後竹原先生は毎年8月、麗澤大学の学生をつれてメーコックを訪れるようになり、また戸邉治朗先生(のちの聖学院中学高等学校校長)とも知り合い、聖学院の生徒はコロナのパンデミックになるまえまで毎年クリスマス時期に研修旅行に訪れていました。32年に及びました。

メーコックファームプロジェクトは麻薬中毒のリハビリ施設としてスタートし、7年間様々な団体の寄付・支援を受けてきました。日本の郵政省(後の総務省)国際ボランティア貯金、日本大使館(草の根無償資金協力)からマツダの車を1台寄付して頂きました。

その後、施設の目的は、子どもへの教育にシフトしていきました。最初は薬物中毒のリハビリに来ていた家族の子どもを預かることから始まりました。

2003年3月19日様々な方々の協力を得て、子どもの教育生活支援をするためにメーコック財団が設立されました。男子女子に分かれた寮、学校への送りむかえ、食事の世話をします。現在子どもは20人、男子7人、女子は13人。6~17歳の子どもがいます。うちわけは幼稚園1人、小学生10人、中学生4人、高校生4人、専門学校生1人です。

今年は子どもの数が少なく小学3年生2人が入寮後2日しかいられず、メーコックに遠くない村の家に帰ってしまいました。女の子は父親が薬物中毒で収監されていて、男の子の両親は離婚しています。新学期が始まる前、少なくとも2週間前にはこちらに滞在していないといけないルールがあるため新たな子どもを受け入れることができませんでした。今年の新入生は2人だけ(高校2年生と小学1年生の女の子、モン族)となりました。コロナ期間はオンライン授業が多く、学校の授業を満足に受けることができませんでしたが、今年はコロナの状況もよくなり、ワクチンも2回打ったので5/17通常通り始まりました。

財団の活動は、子ども達は学習のほか、生活のなかで自分のことは自分で責任をもたせるように、各自役割をあたえます。寮の外まわりの掃除、食事作り、皿洗い、皆で助け合いながら暮らします。

月曜日から木曜日は小さな子と上級生にわかれて聖書を学びます。土曜日の夜19:30と日曜日の朝8時に戸邉先生による日本語教室があります。日曜日は9:30から11:30まで礼拝があります。

コロナ禍、財団は財政が悪化しました。メーコックの施設利用、宿泊のゲストがいなくなってしまったからです。しかし、OCA、MRAハウス、麗澤大学、付属高等学校の大学生、高校生による募金、東京女子大学、聖学院中学高等学校の皆さんの募金活動などの支援があり、メーコックの活動を支えてくれました。

皆さんもコロナが終息したら、または落ち着いたら是非メーコックにいらしてください。今日はありがとうございました。

施設の案内

その後、牧師のJuk先生が、メーコックの農園を案内しました。まず、養魚池で飼っているなまず(タイではなまずの美味しい料理がたくさんあります)を見せてくれました。その後、ライチがたわわになっている木からライチを子供達がもぎ取っていました。ライチの木は背が高く、子供達が学校に行くスクールバスの屋根(はしごがついている)に乗ってライチをわいわい取って食べていました。子供のひとりが「甘くて美味しい!」と瑞々しい果実を見せてくれました。メーコックの農園で育てているドリアンの木はまだ1年ちょっと、3年後には実がなるそう。このドリアンは販売用になるとか。アヌラックさん曰く「ドリアンには初期投資がいっぱいかかっている(笑)」実がなるのが待ち遠しいです。パパイヤの木、マンゴーの木、ランブータンの木、バナナの木、それぞれに立派な実がなっています。

一通り農園の果実を見たあとは、アヌラックさんのキッチンに移動しました。キッチンでは、アヌラックさんのパイナップルパイの中身のパイナップルのジャムを煮詰めています。そしてマンゴーのゼリーを作っている最中です。マンゴーの果肉がごろごろ入っていて、上にココナッツミルクがかかっています。(写真)。美味しそう!

最後に冷えて完成したマンゴーゼリーと焼き上がったパイナップルパイを見せてもらいました。美味しそう! チェンマイのお客様からの注文があり明日届けるそうです。(レポート瀧澤)

2)アネーさんのアカ族の話

アネ―さん

私は6歳から15歳までメーコックで育ちました。父が亡くなりメーコックに来ました。現在は20人位と伺いましが、その当時は40人位の子供達がおり一緒に生活していました。

メーコックでは自給自足の教育を重んじていたため、学校に通うと同時に農業や料理などの仕事を全員で行います。しんどいな、大変だなと思う時もありましたが、今思えばその作業は自立心を大いに育みました。

私はメーコックの設立者であるピパット先生から大きな影響をうけました。お父さんのような存在でした。ピパット先生からは「教育は困難な状況を助けてくれるもの」と言われ、教育の大切さ、勉強の重要性、自立心を育む努力をすることなど多くのことを教わりました。

メーコックを訪れる日本からのみなさんと接して私は日本語にとても興味を持ち勉強しました。メーコックでは親に会えず寂しくつらいこともありましたが、毎年クリスマスの時期に日本から訪れる学生さんたちと一緒に過ごす時間を一番楽しみにしていました。料理や農作業を一緒にしたり、遊んだりした思い出が一番印象に残っており,とても楽しかったです。その影響で私は本格的に日本語を勉強しました。日本語を勉強し進級して上智大学に学資留学しました。ただ専攻学科が外国語学科のため集まったクラスメートは外国人ばかりで日本語を勉強しに日本に来たのに、英語を覚えることになってしまいました。(笑)

日本の料理では焼き肉が大好きです。タイでは牛肉が臭く感じられて苦手だったのですが日本で焼き肉を初めて食べたとき、牛肉がこんなに美味しいものとは思いませんでした。

日本のアニメ、ジブリの作品がとても大好きです。タイではジブリのアニメを見て日本語を勉強してきました。ジブリの世界は日本の古くからの景色や文化や人間が描かれていたので留学で来日した時、東京にはそうした景色が無く、大きなビルばかりでとてもビックリしました。

私は山岳少数民のアカ族出身で、少数山岳民族は身分が低くタイ国籍をなかなかとれず満足いく教育が受けられない状況にあります。学校では何百人の子供達に1人か2人の先生しかおらず、一人の先生が幾つもの教科を教えていました。私は教育の重要性が自分たちの身分や環境を変えていくと考えています。何も知らないこと、教育を受けられないことはとても不幸なことです。政府は皆な平等に教育を受けられる、身分は保証されていると言っていますが、現実はそうではありません。

私が生まれたアカ族の村は現在40世帯ぐらいの村で、昔はみんな茅葺屋根で貧しくパイナップル等を育てて農業で生活していました。若者たちは皆な村を離れ都心や海外へ出稼ぎに行っており、村は年寄りだけになっています。韓国等に出稼ぎする人も数人おり(日本も1人)、稼いだお金で自分たちの手で新しい家を作り生活しています。出稼ぎを斡旋する業者がいますが騙されるケースも多く、行ってみると全く話とは違う嫌な仕事をさせられることも多いです。そうした観点からも教育を身につけることがとても重要です。タイの都心への出稼ぎでの仕事は3k(きつい、危険な、汚い)に着くことが多いです。

自分たち民族の文化や宗教をどう残していくかが大きな課題です。このまま行ったらタイに同化してアカ族の民族の存在がなくなります。他の民族も同じ状況にあります。しかしそれも自分たちの生活を今より、より良くしていくことを考えるとしかたないこととも思います。アカ族には1年間で大きなお祭りが5回ほどあります。大きなお祭りの一つは新米が獲れた時のお祭りです。それをみんなで食べながら民族衣装を着てお祭りをおこないます。

将来の夢は日本語を有効に活用してタイと日本との架け橋となる仕事を続けていきたいと思っています。是非皆さんタイへ、メーコックへ来てください。お待ちしています。(レポート奥村)

3)関口さんと山岳民族

関口さん

僕は麗澤大学を1997年に卒業してメーコックでボランテアとして7年半働きました。その後バンコックに出てきて2010年から国際労働財団のバンコク事務所で所長として働いています。主な仕事は東南アジアの労働問題とバンコックスラムの住人の生活改善です。東京大学、順天堂大学の学生さんのバンコックスラムのスタデイツアーもお手伝いした経験があります。

僕がメーコックで働いていたころはまだメーコックを設立されたピパットさんがご健在で、麗澤大学の竹原先生、聖学院の戸邉先生と山岳民族が抱えるいろいろな問題の解決に取り組まれていました。そのころの山岳民族の大きな問題は山岳民族に蔓延していた麻薬中毒患者をどのように更生するかということでした。メーコックファームは山岳民族の更生施設としてスタートしました。その後タイ政府が本格的に更生プログラムに乗り出し、麻薬中毒患者の子供達の面倒を見る児童養護施設として発展してゆきます。

そのころアネーさんもメーコックで生活していました。北部タイには山岳民族の教育支援団体がたくさんありますが、メーコックの教育方針は他の教育支援団体とは違って、生活に必要なことは全て子供達も参加して一緒に行うということです。農作業を行い、魚を育て、食事を自分たちで作り、敷地内の掃除の仕事を行う。生きるために必要な仕事は全て教えて、メーコックを卒業した後も困らないようにするというのがメーコックの教育方針です。

タイでは人口の1%の富裕層が国全体の資産の60%以上を持っているという研究(Credit Suisse、2018年)が有名ですが、貧富の差が激しいタイのヒエラルキーの中にあって山岳民族はヒエラルキーの一番下の東北部の農業従事者よりもさらに下に位置付けられています。タイに生まれたにも関わらずタイの国籍がなかなか取れないこともあります。タイ政府は教育の平等化を進めているとしていますが、現実には山岳民族の子供達は充分な教育の機会を与えられない、仮に卒業しても公共機関、教育現場などでは就労の機会が与えられない等の制限があります。

山岳民族への差別をなくすにはアネーさんのような人が出てきて、民族のお手本の様になってもらい教育の重要性を実感してもらわないとなかなか変わってゆかないと思います。(レポート高橋)

4)日本の学生達の反応

第2回セミナーに参加された日本の学生の皆さんのコメントを以下の通りご紹介します。(レポート島林)

とても貴重なお時間を頂きました。
オンラインではありましたが、タイ北部の生活を身近に感じることもでき、山岳民族の方々が経験している問題についても色々考えさせられる機会にもなりました。
(慶応大:あゆむ)

自分達が調べられる情報からは得られない話を聞けて、とても興味深く面白い内容でした。どのテーマも非常に興味がありましたが、一つ挙げるとしたらアネーさんのお話は、タイの社会の問題や実態について知ることができたので、とても興味を抱きました。少し遠慮して質問できなかったのが、悔やまれます。
また、最後の方に出てきたメーコックの夕飯が非常に気になりました!
タイの学生と交流する時間が、この勉強会によってより有意義なものになると思うため、今後もこの勉強会に積極的に参加したいです。                   (埼玉大:しんや)

今までタイの学生の方とZOOMで話すだけだったので秋に自分達がタイに行くイメージがあまりわきませんでしたが、現地の様子を見ることができてタイ訪問への気持ちが高まりました。
また、現地の様子を知らない自分達がネットなどで調べる、タイが抱える問題の実態には限界があるので、今回実際に現地の方の話を聞くことができたことでリアリティがあり、問題の深刻さを感じました。
特に、タイでの格差が昔の慣習が残ってしまっている上に、制度的になかなか改善してゆくことが難しいという問題が印象的でした。
(中央大:みゆ)

以上